2012年12月15日土曜日

薬害の歴史 0

薬害は止まらない公害


公害は、産業革命時のイギリスに始まったように、産業社会が生み出した化学物質による広範な人的被害である。企業が排出する有毒物質による、広範囲にわたる公害病の発生として知られている。 つまり、公害tとは 化学物質による公害病の発生 と等価である。

 

日本でもいくつかの大きな公害が知られているが、最も古いものは、足尾銅山の鉱毒事件で、明治の富国強兵政策のもとに発生した汚染である。公害は、環境汚染である。

有名な水俣病(熊本、新潟)も、イタイイタイ病も、四日市ぜんそくも、みな高度成長期の日本における、環境汚染、食品汚染による人的被害=公害病 であった。

 

最も最近であれば、やはり福島原発事故である。これは、最も危険な化学物質(放射性元素=セシウムやヨウ素)を地表にばらまいた。そのため、近隣の住民は危険を察知し、逃げた。そして細かく測定した。従って、死者は出ていない。そのためかこの原発事故に対し、誰も公害とは呼んでいない。



公害には大企業が関与し、原因となる化学物質が存在し、それが特有の病的症状を引き起こした。公害病は、化学物質による回復不能な人的ダメージである。

 

薬害(やくがい)は、くすりという化学物質による、致死的、または回復困難な公害現象であり、その背景に製薬会社と国の体制に原因があることがしばしばであった。薬害についてやっかいなことは、これがふえ続ける公害であるということである。



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