2014年2月11日火曜日

タクリンと ドネペジルの話。


タクリンからドネペジルへの道


 

背景(過去): タクリンは1931年(戦前)に、抗菌作用を目的として合成された。その後、タクリンは1986年(戦後40年)に、中枢疾患治療薬としての臨床試験結果が報告され、1993年に至り、FDAはタクリンをAD治療薬として世界で始めて承認した。

しかし、肝機能障害のため現在は使用されていない

 

タクリンの承認から3年後、1996年にFDAはドネペジル(アリセプト)を 新たなAD治療薬として承認した。



ドネペジルは従来から知られていた化合物ではなく、新規な構造を有する 世界初のAchエステラーゼ阻害剤=分子標的薬である。

 

●シード物語: ドネペジルは分子標的薬の開発を理解するには格好のテキストである。



ドネペジル開発の端緒になったシード化合物(1)は


偶然にも、薬理担当者からの アドバイスによって発見された。即ち、シード化合物は、別のPJで合成されたものだが、ラットにおいて 縮瞳、流涙などのAch作用が認められていた。

 

シード化合物(1)の誘導体を約100種類ほど合成すると、Ach阻害作用が70倍も強くなった化合物が見出された。

しかし、インビトロで高活性であったものの、
インビボではでは、作用が認められなかった。

 

●リード物語(その1): 

ここで、評価系の酵素をウナギからラット由来の酵素に変えたところ、明らかにAch阻害作用は低く、1/40ぐらいの値だった。


そこで、ラットを使ったインビトロ系で、3年間に700程度の化合物が合成され、

その中から、最強のAch阻害剤(2)を見出すことができた。
リード化合物(2)は初めのシード化合物(1)と比べ、2万倍以上強い阻害活性を示したが、大きな問題点が見つかった。

 

●リード物語(その2): リード化合物(2)の問題点が臨床試験(治験)直前に明らかになった。

 

2は、生体利用率(BA)が2%と極めて悪く、98%が肝臓で分解されてしまうか、または吸収されないで、排泄される運命にあった。


テーマは臨床研究担当者から猛反対され、終結した。

 

◎ドネペジルへの展開: 阻害活性の向上は多くの化合物を合成することで、デザインできたが、BAの改善はなかなか予想が付かないものだった。薬物代謝(動態)の観点から見ると、アミドN-メチル基の脱メチル化が主たる代謝経路である。この点から、脱メチル化反応の起こらない、環状構造をした化合物のデザインが、突破口になった。

二環性化芳香環化合物を合成すると、そのBAも満足できるものになった。 そして最後のさいごに、インダノン骨格へとたどり着いたのである。

 

◎  ドネペジルはインダノン骨格を持ち、ベンジルピペリジン基を導入することで、満足するBAが得られた完成品である。


 
イヌのBA60%、ヒトのBA40%と改善され、ヒトにおける血中濃度の半減期は70時間を越えるものであって、このことが、ドネペジルの臨床試験で、一日一回投与を可能にした。

 

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