タクリンから ドネペジル(アリセプト) への道
(杉本桶狭間創薬:第2弾)
背景(過去): タクリンは1931年(戦前)に、抗菌作用を目的として合成された。その後、タクリンは1986年(戦後40年)に、中枢疾患治療薬としての臨床試験結果が報告され、1993年に至り、FDAはタクリンをAD治療薬として世界で始めて承認した。
しかし、肝機能障害のため現在は使用されていない。タクリンの承認から3年後、
1996年にFDAはドネペジル(アリセプト)を 新たなアルツハイマ~(AD)治療薬として承認した。
ドネペジルは従来から知られていた化合物ではなく、
新規な構造を有する 世界初のAchエステラーゼ阻害剤=分子標的薬である。
●シード物語: ドネペジルは 分子標的薬の開発 を理解するには格好のテキストである。
ドネペジル開発の端緒になったシード化合物(1)は
偶然にも、薬理担当者からの アドバイスによって発見された。即ち、シード化合物は、別のPJで合成されたものだが、ラットにおいて 縮瞳、流涙などのAch作用が認められていた。
シード化合物(1)の誘導体を約100種類ほど合成すると、
Ach阻害作用が70倍も強くなった化合物が見出された。
Ach阻害作用が70倍も強くなった化合物が見出された。
しかし、インビトロで高活性であったものの、
インビボではでは、作用が認められなかった。
インビボではでは、作用が認められなかった。
●リード物語(その1):
ここで、
評価系の酵素をウナギから ラット由来の酵素に変えたところ、明らかにAch阻害作用は低く、1/40ぐらいの値だった。
そこで、ラットを使ったインビトロ系で、3年間に700程度の化合物が合成され、
その中から、最強のAch阻害剤(2)を見出すことができた。
リード化合物(2)は初めのシード化合物(1)と比べ、2万倍以上強い阻害活性を示したが、大きな問題点が見つかった。
●リード物語(その2):
リード化合物(2)の問題点が
臨床試験(治験)直前に明らかになった。
☆ 2は、生体利用率(BA)が2%と極めて悪く、
98%が肝臓で分解されてしまうか、または吸収されないで、
排泄される運命にあった。
テーマは臨床研究担当者から猛反対され、一端終結 した。
◎ドネペジルへの展開:
阻害活性の向上は多くの化合物を合成することで、デザインできたが、BAの改善はなかなか予想が付かないものだった。
薬物代謝(動態)の観点から見ると、
アミドN-メチル基の脱メチル化が主たる代謝経路である。
この点から、脱メチル化反応の起こらない、環状構造をした化合物のデザインが、突破口になった。
二環性化芳香環化合物を合成すると、
そのBAも満足できるものになった。
そして最後のさいごに、
インダノン骨格 へとたどり着いたのである。
(杉本リーダーは思わず心で叫んだ!これでイインダノン! !!)