たいていの病気は 突然に やってくる。
一端体の中にできた 温床は 消えない。
病気という不幸は いつも連鎖するチャンスを 狙っている。
おだやかな秋の一日、
私は福島いわきの介護施設に 叔母を見舞った。
娘に起こされ、朝早く出たので 何か眠い一日だった。
上野駅から スーパーひたちに乗り変え、
いわき駅に着く頃には左眼に 黒い幕のようなものが
ゆっくりと わきあがって きた。
福島浜通りにある 介護施設
メープルハイムに着き、ほっとした瞬間には、
残像はもう はっきりと黒くなってきた。
黒いシャッターがゆっくりと
上がってきたような気がした。
それでも、物言えぬ叔母の手を握り、
必死に 話しかけた。
私の最愛の叔母は
脳梗塞の2度目の発作で、もう三年近く寝たきり
植物状態である。勿論、喋れなければ、書けもしない、
胃から胃ロウを使って食べるだけの人である。
誰にも本心を話すことはできないまま、
親族の居る地で一人、じっと身を横たえている。
( こんな生活になるとは 本人も 誰も おそらくは
予想はしていなかった。。。
言葉にならない 言葉に出せない状況だった。。。)
以前に来た時が 3年前の2007年で、
ひょっとしたら もうここには居ないかもしれない
と思ったくらいである。
その叔母は、わずかであるが、
顔に赤みと表情が出てきた。
体重も減らなくなったと聞き、一安心した、
やってきた甲斐があった、と娘と二人で喜んだ。
娘は叔母に顔立ちがよく似ている。
叔母は看護師であり、健康には気を使ってきた。
しかし、いくら注意しても病気はやってくる台風であり、
どれだけの被害がでるか、後にならなければ全く分からない。
じっとして過ぎるのを待つしかない。
台風になぎたおされた
古木のような趣を叔母から感じた。
病室で過ごした時間は あわただしく短かった。
しかし やって来た安堵感をばらまいて
無言の患者の 勇気づけは できた。
福島浜通りからの帰路は そんな安堵感と
不安が混じった不思議な気持であった。
何度か、こういう不安定な感情になったことがある。
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