2016年12月18日日曜日

続 先生のものがたり 

https://www.youtube.com/watch?v=7lU3LSBekT8


https://www.youtube.com/watch?v=8yArRBwnl6k






先生の物語(3)



(先生の身の上話は続いた)

確実な研究成果に先生は喜び、さらにその上をめざす意気込みだった。

当時は新参助手だった北山もおなじだった。

古株研究員のネガテイブデーターの山のおかげで、ピカピカの研究者に成り上がった。

先生は北川に専用の実験室を与え、いつでも彼女が仕事できやすいような環境を作った。

 

すると月曜日の彼女は以前の彼女とは違って見えたし、

彼女も先生の期待に応える右腕助手になって多くの実験をこなし、先生はコンスタントに論文を書いた。

彼女の実験のスピードが格段に早くなった頃に、先生は彼女の実験室の異臭に気が付いた。

最初は殺菌用のエタノールかと思っていたが、どうもそうではない。

 

アセトアルデヒド臭がほのかに混じった怠惰な臭気になっているのだった。

しかし、不思議なことに北川には、最適の実験環境だったようだ。

要するにそのアセトアルデヒド臭こそが、北川の体臭であり、生活の空気であり、
いわば儀式の臭いであった。

 

3年が過ぎた頃、先生は北川に博士論文を書くことを勧めた。

彼女もそれに感動し、モチベーションがあがるのが彼女の表情に見てとることができた。

そしてあっという間に、北川の博士論文が完成し先生の仕事も順風万班の絶頂であった。

しかし、彼女は博士論文を書き終えると坂を下るようにあの古株助手のようにしなっていった。

 

それはこれまで付合ってきた男に裏切られた事がきっかけであった

という風聞も先生の耳にも入ってきた。

それと同時に、研究所内の男性研究員達と彼女のぎくしゃくしたゴタゴタが始まった。

先生には彼女の評判も沈んでいく夕陽をみるような思いだった。

しかし先生は北川の未知数部分に賭けた。

そして彼女が研究所を休みがちになったのを見て、再度アメリカ留学の機会を与えたのだった。

 

2度あることは3度有るように、北山は留学してから2年後には

すっかりリセットしたシルエットになって帰ってきたのだった。

それと同時に北山のほうから、あらたな研究にチャレンジすることを先生に申し出た。

先生はその頃、研究に行き詰っていたばかりか、研究所長のポストをめぐって
所内のライバルとの接戦に敗退した。

そこへまた、救いの天使のようにアメリカから北川が帰ってきて

新鮮なネタをもってきたのである。

渡りに船とばかりに先生は自分のチームの全勢力を彼女の新しい研究に投入した。

しかし、新しすぎるテーマはなかなか陽の目を見ることが無かった。

 

先生は全くの失意うちに研究所を退職した。

退職した先生が自分の論文を整理した研究回顧録を作り始めた時のことだった。

北川の古い実験ノートが一冊紛れ込んでいたのに気がついた。

それは、先生が彼女への苦言ともアドバイスとも取れる遺言を書き込んで、
彼女に渡そうと思ったものだ。
 
先生は、そのノートを彼女に渡して潔く一戦から身を引く覚悟だった。

しかし、その遺言を渡す日に彼女は無断欠勤をしたのだった。

かくして先生の遺言は北川には渡らずに眠っていたのである。

今はその遺言の内容よりも、

彼女のノートに書いてある雑記メモのほうが、先生には刺激になった。

ノートの最後のページにスケッチとして書かれていたのが

今日やって来たこの山荘だったのである。

 

彼女のスケッチの端には 古洋館と山子谷 というサインのようなものがしてあった。

先生は北川との再会の場所にこの山荘を選ぶのが最適だろうと考えた。

先生は、実は山小谷という名前のほうが気になっていたのだった。

と同時に先生は 山子谷の魔力に取り付かれた。

山子というのは人名にもある名である。山小もあるし、山古もあった。

尼子というのは大変由緒ある武家の名前であった。

 
 
 
 
 
 
先生の物語(4)
 
 
 

それから教養ある先生はとうとう古地図の中で山小谷という村を発見した。

東京から北へ上がった山間地ではあるが、

落人部落ということでマニアックな旅行者のターゲットとなっていた。

山小温泉という民宿集落も旅行者には格好のおまけであり、

先生も一度出かけたことがあった。

 

村道でバスを降り、そこから吊り橋を渡ってはいる村落が山小谷であった。

先生がここで発見したのは、ここの村人の名前であり、それが圧倒的に山子という苗字であった。
山古と言う名前もみうけられた。

いずれにしても山の一字が山小村を指していたのである。

 

ここまで話をすると、先生は古酒を注ぎ足した。女主人は完全に先生の話を納得した。

もう先生の物語の 結末までを読みつくしていた。そこで、女主人は自分の名前を話題にした。

女主人は旧姓で、古山ということを白状した。

先生は にやっとし面白いと笑ったが、女主人はドキリとしている。

女主人のものがたりがすべてこれで 明らかにされたことになる。

 

先生の話を聞いたくろかわも、女主人の古山が山小谷と関係していることを知ったが、

どうということはない。 今話題の女北川は奥の小部屋で熟睡している、

先生の右腕だった奇声を発する女である。

女の身の上にいったい何があったのかを、先生がゆっくりと話し始めた。

先生がお気に入りの敏腕助手北川の思わぬ正体を知ったのは、

退職後に開かれた古株助手との研究所同窓会の席だった。

研究所OBによる同窓会では研究の話は少なく、家族の出来事や残っている
若手研究員のゴシップ話が中心だった。

古株助手だった岩谷から先生は最近の研究所内のもめごとトピックをあれこれ聞かされたが、

その中にギクリとする話題があった。それが敏腕助手の北川の実験に関することだった。

 

北川がした実験を、所内の若手が利用して治療薬研究に発展させようとした計画が起こった。

北川も賛同し、その治療薬実験は所内のメインテーマとして大々的に宣伝された。

北川はある種の色素が、脳疾患原因物質と相互作用をすることを見出し、

新たな脳疾患治療薬の糸口になるという論文を出していた。

北川の博士論文の主たる成果である。

 

 

 

同時に北川は、色素化合物が有効かどうかをアッセイする簡便な識別薬も見出していた。

いわば指示薬=インジケーターである。

北川の色素研究とその選別のためのインジケーターは先生が研究所をやめたのを機に
再評価される機運だった。

それは先生のライバルだった今の所長が、先生が退職したのを機に、北山の仕事を
再評価したからだった。

 

しかし、北川の使った特殊な試薬のためかなかなか再現実験がうまく行かず、

研究所内で怪しいうわさが流れた。

それは、北川はアルコール依存であり、その実験結果は信用なら無いということである。

未婚の女性研究員に貼られる屈辱的なレッテルとして、アルコール依存ほど痛いものはない。

それに加えて、誰が言ったのか彼女の素性についても、あやしい村部落の出身者
であるというような噂が広まった。

 

彼女は山小谷の出身ではなかったが、

付き合っていた山古は確かにここの出身であったのだ。

そういう流れで、研究所の誰もが北川に黒いベールを着せ始めたのだった。

ほどなく、先生のライバルだった研究所長が北川の論文を否定する発表を行ったのだ。

 

それは北川と先生に対しての痛烈な批判であり、

北川はもはや研究所に居られなくなったのだった。

味方は誰一人居なくなった北川は悶々としながら実験を続けたのだったが行き詰まっていた。

行き場のなくなった彼女のアルコール依存は果てしない谷におちていき、

とうとう研究所長からは退職勧告を言い渡されるところまできてしまった。

 

他に行く当ての無くなった北川はかくして

黒毛山荘にきて 先生に相談することが最後の手段になった。

先生は、北川の素性についてここまで話すと気分が楽になったのか、

たばこをくゆらしながら黙ったままの人形のようになった。

 

ここまでの話をして良かったのかどうか、

しかし自分にも今の北川はとうてい手におえない羽のはえた女である。

3人がしばらくの間をおいて、空気が落ち着いて来た頃に、

女主人がおもしろい事に気が付いたように決め台詞を言ったのだった。

北川をしばらくこの古洋館に住まわせようという考えだった。

 

 

 

沈黙の森

 

女主人は自分の経験から、

ここの自然は北川の病んだ精神をなごませるものがあると信じていた。

いったい何が入っていたのか分からない野草入りの古酒によって救われた。

だまされたと思ってしばしやってみるのも よいことだろう。

それが良薬であれであれ、プラセボであれ、今出せる結論はそれしかなかったのである。

先生もここに来て、これだけの話が出来て胸のつかえが取れたという気持ちになっていた。

 

他人事に首を突っ込んだくろかわだけは他の3人とは違っていた。

彼はシャドーライターの本能が目覚めていくのを感じていた。

かつてのアルコール依存の女主人が新たな新参患者の世話をし始めた。

こうしてあたりの空気が静かに変わっていくのを感じた。

くろかわは 二人のアルコール依存者の歩みをじっと観察する

付添人のようになっていった。

 

毎日、女主人は北川と森の散歩に行ってくると、

山菜や木の実を拾ってきてそれで味噌汁を作った。

山菜採りは山小谷の風習だったし、味噌は山小谷自製の味噌で作った。

森を歩いたせいか、北川はすっかり体からアルコールと忌まわしい記憶を捨て去っていた。

そして古洋館の食堂で3人と共に食事をした。

朝の食事には、近くから手伝い料理人の男が加わったが、

この料理人は無口な職人気質の男で、ほとんど一言も話さず食事を共にした。

この料理人は、昔は腕のよいコックだったが、その酒癖の悪さであちこちを転々とした後で、

山荘の近くに住み着き、料理人兼庭師になっていた。

 

沈黙の朝食だったが、北川はたいそう満足した。

先生とはそれ以上突っ込んだ話をすることはなく、やがて別れの時を迎えた。

女主人は、北川が自分で残りたいと言うのを待っていたのである。

 

自然に北川がここの空気になじんでいってくれるのを待っていたのだった。

朝食後各自は部屋に戻り、そしてまた再び今度は喫茶室で顔を合わせた。

先生は車で東京に帰る旅支度であることがその動作に現れていた。

北川は深いソファーに一人で埋まったようにしてコーヒーを飲んでいた。

 

 

 

くろかわと女主人は離れた席で見ていた。

やがてコーヒーを飲み終えた先生が立ち上がり、北川は深々と頭を下げた。

その頭がなかなか上がらなかったのだが、先生はそのまま出口に向かって行き振り返ることなく

車のエンジンをふかした。後に残った3人にはこれで良かったという空気が流れた。

 

 

他人事の風が押し寄せそして車の音と共にやんでいく。

鳥の声も心地よく耳に入るのがわかった。

そんなこんなで疲れ果てたくろかわではあったが、

沈黙の森は彼に新たな物語のモチーフを運んできて、

新たなストーリーが自然と浮かび上がってくることを感じた。

鳥の声が新たな時を告げていくようだった。

 

女主人も ソファーにいる北川とは反対の外の景色を見ながらたばこをふかしていた。

女主人は 自分の孤独が北川の出現で融けだしていくのを感じながら

北川のほうへ歩いていった。

二人の会話は良く聞こえないが、もはやどうでもよかった。

できるだけ長く、そしてできるだけとりとめもなくアルコール依存だった二人が

話をすることが、ここの空気には一番相応しかった。

 

 

 

 
森の狩人

 


森に出かけた狩人が道に迷うことはよくある。

森に出かけた挙句の果てに、<山猫軒>というような

おかしな料理店に迷い込むこともあるのだ。

しかし、心を洗いに山に入った女二人には

<山猫軒>というようなあやしい幻覚はなく、

むしろ今までの幻覚を捨て去ることが出来たようだった。

 

山小谷に生まれても生まれなくても

狩に出かけた旅人は<山猫軒>に招かれアルコールを友とする途におちいるものだ。

山猫軒の途と別れるには新しい道を自分で作るしかない。

山猫軒への窓を閉じなくてはならない。

 

北川のベクトルは本格的に回復の方向に向かった。

あの森から帰るとまるで背中に羽が生えたような気分になるのだった。

それと同時に、はっきりとした思考回路で、研究回顧作成の手伝いをすることが

次のライフワークであるという直感の枝にとまっていた。

 

しばしの繰り返しを黒毛山荘で過ごした後の北川の行動は、

留学帰りのような清清しい若者のメンタリテイに戻った。

それは北川のリズムであり、習性かもしれないし、

女主人の出したハーブテイーの効果だったのかもしれない。

北川はそのまま研究所に別れを告げた。

 

そして、古い研究ノートだけを棚に積み上げて

またこの山荘の逗留者になったのである。

北川は一番端の小部屋を占領したのだった。

北川はこの山荘で、これまでの研究成果をまとめ直す決心をしたのだった。

と同時に、それは彼女の心の中でたちあがってきた、

研究生活の再開ののろしでもあった。

 

北川と女主人は規則正しい習慣が身についてきて、

7時には朝の散歩に出かける仲になった。

そして9時前には料理人が作った朝食を3人で共にした。

無口な料理人とは特段の話はせずに、

壁際にある古いテレビを見て時間をすごすだけであった。

それから部屋に篭ってからまた下の喫茶室にやってくる。

 

昼はレトルト物の軽食とお茶だったから 何時でも良い。

そして3時半を回った頃にまた午後のお茶をすするのである。

お茶を飲実ほしてから北川は一人で森を歩いた。

そして夜にはまた、3人の夕食の時間になった。

 

夜は自由に過ごせたが、

特に北川の研究成果の核になる部分を回顧、解析することに集中した。

ちょうど1ヶ月くらいたってから、またくろかわが古洋館にやってきた。

くろかわは北川が仕事をする女に変身したことを確認した。

黒い羽がはえたような獲物を捕りにいくような空気を沸き立たせているのが分かった。

初めてこの古洋館で北川似合った時には、北川の背中には何も見えなかった。

 

北川の新しい物語が古洋館で始まった。
それは、回顧しながら新しい研究の芽を見つけるような、

鷲の空中旋回のような行動に似ていた。

くろかわのシャドウライターとしての活動がやっと始まった。

 






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北側の窓(1)

 

 


黒川がまた加わり、
古洋館での4人の奇妙な共同生活が始まった。

無口の料理人に気を使う沈黙の朝食後には、黒川が北川の部屋に行き、

たばこを吹かしながら彼女の独断的<研究回顧談>を聞くのが常になった。

黒川は
その話を自分の脳に焼付け次の文章の構想に入ることが出来た。

 

先生がまだ現役の頃、助手の北川はいさんで博士論文を書いた。

その主な成果は新しい薬の発掘探索の物語と言ってよいものだった。

研究所の先生は古い研究者だったが、

留学帰りの北川のアイデアには最大限の理解を示した。

そして北川の今日までの涙ぐましい実験が始まったのだ。

北川の試行錯誤は何度も飽きるほどに聞かされたが、

それはこんなものであった。

 

 アルコール依存の北川は、身をもって酸化還元反応の波を体験していた。

特に彼女は自分の脳内で起きている酸化還元反応に興味を持った。

脳内の酸化還元反応は重要な代謝と呼ばれる生体反応で、

まず脳でよく代謝されるものを選び出し、調べることが研究の途となった。

 

そして次に、それらの選ばれた化合物を適当に活性化した状態に

してやることで、脳内での代謝回転を向上させ、

病因物質を脳内から流し出すという基本コンセプトである。

 

アルコール依存の北川はしばしば自分の脳に余計な物質が入ってくる予感と、

その後の悪酔いのような悪心状態を体験していたのだった。

そしてそれらの波は必ず去っていくサイクルであることも体験した。

自分の脳に入って助けてくれる物質が必ずあるはずだと

北川は必死になって試行錯誤を繰り重ねていたのだった。

 

時には自分自身で悪酔い状態になり二日酔いの最中に、

役に立つ化合物を試したり、探したりしたのだった。

常にアップダウンを繰り返すのが彼女の脳であったから、

酸化と還元が簡単に起こりやすい化合物が良いという感触はすぐに得られた。

 

研究所での二日酔いとの格闘の朝、北川はよくコーヒーを飲んだ。

決して美味しいとは思わなかったが、彼女の脳には

心地よい刺激になった。しかし、コーヒーよりもその後に飲む

緑茶やレモンテイーの味に魅力を感じるようになったのだ。

 

北川が自ら試行錯誤をし、たどりついた化合物は、

カフェインやタンニンではなく柑橘の中のビタミンCと赤い天然色素だった。

レモンの黄色い皮と赤い色素はよく調和したようにも見えたのだ。

そしてこれらを組み合わせた時の色の変化を目で見ることが出来た。

 

特に目新しい化合物ではなく、先生の古い仕事でも扱っていた

なじみの化合物だったものが、ビタミンCと紫色素であった。

 

色素の入った赤い溶液は明らかに還元作用があって、

それによって他の化合物が還元されていく。

そうすると、はじめの溶液の赤い色は消えていく。

時間がたつと、自然に色も消えていく。

 

北川はこの溶液を使って、自飲実験もした。

二日酔いの体で起こっている酸化還元反応によって、

まずは体の中ですばやく還元されていくような化合物を選び出したのだ。

同時にその還元されやすい化学構造にも注目した。

 

一旦還元されたものは、直ちにまた酸素で酸化されて

元にもどるような反応をする分子がいくつも浮かび上がってきたのだ。

北川が書いた博士論文は、安直な手法による

そのような反応性の化合物の独自リストであった。

 

赤い溶液に空気を吹き込むと、空気即ち酸素自身も還元される。

従って活性酸素になると考えた。これが彼女の博士論文の骨子となった。

『赤色アスコルビン酸溶液の調製とその医学的応用』

というタイトルが付けられていた。

 

要するに酸化還元サイクルが都合よく駆動し、

酸化⇔還元のたびに活性酸素がどんどん出るというサイクルが出来上がる。

この活性酸素サイクルによって、

病因になるタンパクを破壊しようというアイデアである。

このような活性酸素サイクルはくすりや低分子の生体内代謝でも起こっているプロセスである。

 

 

しかし博士論文が終わってからの試行錯誤はさらに難航した。

そして北川はもう一度、ビタミンCに戻って精査を始めた。

そこで、ビタミンCの酸化体について得に調べるようになったのだ。

ビタミンCの酸化によってできる化合物は<デヒドロアスコルビン酸>

とよばれるよく知られた化合物である。

 

確かに、ビタミンCそのものより、デヒドロアスコルのほうが、

水素を取りやすく、また脳に入りやすかったからである。

デヒドロアスコルと紫色素のシコニンを組み合わせれば、

脳の機能改善作用が強いということを北川は二日酔いの朝、体験していた。

 

そんな話を何度か朝の談話で黒川にしたとき、

黒川は一冊の本を差し出した。

これはブラックライターの常道であり、類書をさがして、

参考書あるいは虎の巻にして書くという黒川のやり方でもあった。

 

その本は<柑橘類(シトラス)の文化詩>という本であり、ビタミンCをめぐる古今の歴史に関する叙事詩本だった。

即ち柑橘類と人類の歴史を科学の視点で俯瞰したような大作で、原作は英文である。

よく書かれた教養書であった。

 

 

黒川に教わった柑橘類の化学に関する本を参考にして、
北川はもう一度彼女の研究成果をまとめ直した。
 
 
ビタミンCは体の中で、酸化還元を受ける分子として行動するから、
酸化されたものを薬として活用することも有用だという結論になった。

勿論、最近ではそういう論文もあり、実際に香粧品の成分として、

酸化体のデヒドロアスコルが使われていた。

 

 

素人の黒川も北川の結論に大いに賛同した。

其の時から以降は、黒川は朝の濃い紅茶の中に
干からびたレモンの切れ端を入れて飲むようになった。
 
干からびたレモンスライスのほうが、酸化されたビタミンCが多く含まれる
というのが、北川のオリジナル=サジェッションであった。
 
 
この考えは、回顧録を書いている先生の元にも届けられた。

 

 

ほどなくして先生が5月の古洋館にやってきた。

先生はビタミンCの酸化体には 抗癌効果もあるはずだと言う先生独自の味付けをしたかったのだ。

先生が古洋館に逗留し、沈黙の朝食を共にするようになったのは、
北川には何よりのくすりになった。

先生は、ビタミンCの新しい論文を作った。

それを国内の学会誌に発表するという計画で、

北川と黒川と先生の3人組による初めての学術論文が出来上がった。

 

先生は知り合いの医師にその結果を見せたいと思った。

その医師は先生の旧友であり、今は民間の財団法人を作って

栄養学の研究に没頭していた。

栄養学医者は老齢であったが、口先はしっかりとしており、
むしろ荒々しい口調で話をするから、先生は彼女を大口先生と呼んでいた。

 

北川はしかし、その方面へ自分から足を踏み出すことはしなかった。

先生と大口先生との時を邪魔はしたくなかったのだ。

先生と大口先生の間にはえも言えぬ男女間の機微があることを北川は感じたのだった。

 

 

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北川の窓(3)

 

 


先生との合作になる酸化型ビタミンCに関する研究成果が論文にまとまった頃には、

北川と黒川は別な化合物にのめり込んでいた。

 

黒川は 
慢性の通風持ちであったから、素人の黒川のほうが、
わが身の為と積極的な姿勢を示した。

黒川もこの時期から
やさしい化学論文を読むようになった。

 

そして黒川が一番に気に入っていた化学論文は最近書かれた

『尿酸の効用』とタイトルされた日本語論文だった。

 

北川は研究所に居た頃の自分の古い仕事を読み返し、

また新しい視点で再構築する目論見だった。

北川は化学論文に慣れてきた黒川に次のようなオリジナル文章を渡した。

尿酸に関しては人一倍の関心がある黒川にとってはまさに水を得た魚の心境であり、何
度も北川の書いたものを読み返した。

もはや北川の尿酸論は黒川の頭の中で書き換えられ、

黒川流の 尿酸学となっていった。
 
 
 
 

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